さて、何回か前に間違いを恐れるから、英語を話せないのだ!という精神論は暴論だという話をしました。
日本の学校教育を受けていると、間違いを恐れるようになります。例えば、英作文のテストでも、内容が合っていても三単現のsが抜けているからバツ。複数形のsを抜かしたからバツ。細かいミスであろうと、間違えたところで相手が意味を取り違えることは100%ないことでも、容赦なくバツになります。受験はもっと極端で、人を落とすためのテストですから、さらにそのような傾向が強くなります。
僕も同じ経験をしているからわかりますが、こういう学校教育を受けていると細かいミスが気になったりしてしまうのは仕方のないことです。また、日本の文化もこのような間違いを気にすることに拍車をかけていると思います。日本人は欧米人に比べて、「恥」の意識が強く、他の人の目を気にしたり、他の人がどう思っているかということに敏感です。これはもう厳然たる事実です。
ただ、これを悪いこととは僕は思いません。例えば、他の人の気持ちを気にするがゆえに日本人は時間に几帳面です。僕がいたオーストラリアでは、約束の時間に友達が来ることはあまりなかったですし、公共の乗り物でさえ、理由なく遅れていました。文化は文化で、いい面と悪い面のどちらもあります。
間違いを恐れるのは、文化的なもので仕方ないとそれを否定せずに考えると、日本人が自信を持って話すためには何が必要なのでしょうか?
日本語を話すときには、自分の日本語が間違っているんじゃないかとおっかなびっくり話していることはないでしょう。なぜなら、それが正しいという絶対的な自信があるからです。この場合、どこからこの自信が生まれてきているかと言うと何十年の経験です。生まれたときから日本語に触れ、話してきているので、経験上、この言葉はこういう使い方をするというのは理屈なく理解しているのです。
ただ、英語を話す場合にはそういう経験からくる自信はありません。これをどうするかというのがテーマになってくるでしょう。
僕も典型的な日本人で、間違いを恐れる面が元々あるのは自覚しています。ただ、外人と話すときには自信を持って話せています。なぜか、それは、文法的な根拠で自分の文が正しいことを頭の中で確認しているからです。これが第一言語と第二言語の違いだと思います。理屈なく、経験をベースにすらすら話せるのが第一言語で、第二言語は、文法を根拠に自分の文が正しく伝わっていることを確認します。
何も確認する手立てがなければ、自分の文が正しく伝わっているのかわからない→自信を持てない、ということになってしまいます。これが英語総合即戦学校が文法と語彙に特化している理由なのです。